信じる勇気-後半

  ***
私は矢張り唐木の後姿を追っている。
夜闇に沈んでいる筈の森の中は何故だか仄かに明るく、黄昏の色を纏っていた。前を行く唐木の左手で、青い折鶴がくるくると舞う。
其の鶴は何ですか、と私も店長も問えずにいる。唐木は折鶴の嘴が指す方へと歩を進めており、其れが野間の居場所を捜す為の何かであろう事だけは解った。折鶴はくるくると嘴で森に境界を描く。
式神みたいなモンかしらね、と隣を歩く店長が身を屈め、小声で呟く。店長に倣い、私も低声で返す。
「式神? ああ、アレですね、阿部清明が使ってたとか云う」
「そうそう、ソレ」
「式神なら、こう、ばっさばさ飛んでって野間見つけたりするんじゃないですか」
「聞くと見るじゃ実際全然違うなんて、よくある話よ」
ばさり、と折鶴が控えめに、けれど明瞭に、一度羽搏いた。その批難めいた羽搏きに私と店長はほんの少し身を縮め、視線を交わす。
「ホラ、谷崎ちゃんが失礼な事云うからお鶴さんが機嫌を損ねちゃったじゃない」
「お鶴さんて。きっと店長の顔が気に入らなかったんですよ」
「アタシの顔がナニしたってのよ。ちょっとアンジェリーナ・ジョリーに似てるだけじゃないの」
「云うに事欠いてアンジェリーナですか。大和魂貼り付けたような顔でアンジェリーナですか。店長がアンジェリーナならおすぎはメグ・ライアンですよ」
「そっくりじゃない」
「ああ、全くそうですね。じゃあピーコはニコール・キッドマンですね」
「そうよ。そして三人揃えば極東のO-ZONEよ」
「そこは洒落になってない気がそこはかとなくします」
「見た目で判断しては駄目よ。デラックス姐さんだってアタシだって見た目とは裏腹に物凄くナイーブなのよ? それはもう、60年代の乙女が如く」
「誰ですか、デラックス姐さんて」
「マツコよ。マツコ・デラックス」
「知りませんよ」
「知っときなさいよ」
「得するんですか」
「毒されはするかも」
解毒出来るんでしょうね、と私が云うよりも早く、唐木が振り向き、何と表現していいのか解らない表情で、もういいよと云った。呆れたような、諦めたような、それでいて非道く愉しげな顔の侭、唐木はお前等さぁと言葉を継ぐ。
「緊張感て知ってるか」
私と店長は唱和する。
「勿論」
店長が人差し指を立てた。
「緊張してるからこその軽口よ。云ったでしょ、ナイーブなのよ、内心恐くて仕方ないのよ」
其の通りだと私は小刻みに頷く。
「じゃあさ、帰れば?」
「アンタ鬼? 可憐でか弱い白百合な乙女を二人だけで、この魑魅魍魎狐狸畜生が跳梁跋扈暗夜行路してそうな森の中を引き返せと?」
「お前等二人が相手なら野衾や海座頭のがまだか弱く見えるね」
「失礼ね。谷崎ちゃんは兎も角、アタシは顫える仔兎よ」
「柔道着の良く似合う仔兎もいたもんですね」
「谷崎ちゃん」
「何ですか」
で、と唐木が笑った。くるくると鶴が舞う。
「帰んの? 帰るんならお守りぐらい渡すよ。でないと出れないだろうし」
「帰りません」
「そうよ、帰らないわよ」
「帰ってよ」
「イヤよ」
「何でだよ、関係ないじゃん」
「関係あるわよ。心配なのよ、野間ちゃんも唐木ちゃんも」
「絶対嘘だ」
「つくづく失礼ね。嘘じゃないわよ。後、ちょっぴりの好奇心」
「好奇心だけだろ。好奇心は猫を殺すって知ってる?」
「知ってるわよ。でもアタシ、ネコじゃないもの」
そう云う意味じゃないと思ったが、口に出すのはやめておいた。鶴は矢張り森に境界を描いている。
大して広い森ではない。けれど、似たような景色が続く。どれも同じ木に見える。振り返れば後ろを向いた私が見えるのではないかと思う。これがこの森の元々の姿なのか、何かしらの現象を抱えたが為の姿なのか、私には判断出来ない。
唐木が立ち止まる。鶴が幾度か羽搏いてことりと倒れた。青い鶴が只の折鶴に戻る。唐木は折鶴を尻のポケットに捻じ込み、前方の仄昏い一点を指差した。唐木の指先から、森の呻きに交じって、み、み、と声がする。切羽詰った男の声。其れは狂気に近い。丁寧に声を拾えば、ミユミユミユ、と名を呼んでいる。野間だ。
「見付けたよ」
唐木の声が昏闇に飛んでいく。

野間は蹲って耳を塞いでいた。傍らで玉木が笑っている。尖った顎の先から細く垂れる唾液が、こいつはもう駄目かも知れないと思わせる。
覿面に報いを受け、壊れ始めた男二人を女二人が見下ろしていた。露出の高い服、痩せた躰、濁った眼。希恵。
唐木が野間の肩に手を置き、辛うじて正気を保つ野間が唐木にしがみ付く。店長がアタシは観察者、全体を見渡すの、と呟いて一歩退く。私は希恵を見る。私に気付いた希恵が少し笑う。
「希恵」
私の呼び掛けに希恵は肩を竦めた。
――えらく大人になってんじゃん、あの奈奈が。
「親戚のババアか。あんたが死んで何年経ってると思ってんだ」
さあ、と希恵は連れの女に眼を遣った。ミユと野間が呼んでいた女は、只凝っと野間と玉木を視ている。
――此処には時間が流れてないから。死んだのが昨日のような気も、何十年前のような気もするよ。
「気付いてはいるんだ、死んだ事」
野間を引き剥がし乍、唐木が希恵を指差す。まあね、と希恵は応える。
――この娘は、駄目だけどね。最初から駄目だった。
ミユと呼ばれる女。半ば開いた口唇から意味を成さない音が洩れていた。呼気だろうかと思い、そんな筈はないと考え直す。
――死んで尚、空だ。否。
希恵が首を振る。
――今はもう空じゃないな。
「希恵?」
――今は埋まってるよ。埋められたと言うべきか。
「何言ってんだお前」
視野の端で玉木と野間を店長に預け、もう少し下がるよう指示している唐木の姿が見えた。
――お前等さ、其処の馬鹿二人を助けに来たんなら諦めな。あいつら置いて帰った方がいい。
そうしたいのはヤマヤマなんだけど、と唐木が一つ息を吐く。
「それって目覚め悪そうなんだよ」
そんな問題では、と云おうとして止めた。唐木にとっては其の程度の問題なのだろうと思った。希恵が関わっていなければ私にとっても其の程度の問題でしかない。
冷たいと、自分でも多少は思う。
「あのさ」
唐木が野間と玉木を視線で示す。
「あの二人、解放してよ。そしたら帰るから」
――無理だね。
希恵は少しだけ笑った。陰鬱で哀しげで、自嘲に近い笑みだった。
――あたしには、もう無理だ。
希恵が私を見る。真っ直ぐに。
――逃げろ、奈奈。
刹那、ミユの指が私の首に絡み付く。か、と私の口から呼気が漏れる。
「何、なんだよ」
私は希恵を見る。唐木を見る。二人の顔に表情はなかった。店長だけが谷崎ちゃん、と私の名を呼んだ。
何かあるだろ、と私は二人を睥睨する。幼馴染が、職場の人間が、殺されかけてんだ、せめて眉ぐらい動かせ、そう考える間に、気管が締まった。酸素を欲して口を開ける。声すら出ない。私の首を絞めるミユにも表情はなかった。焦点の定まらない眼球が上下に揺れている。口の端からは唾液とは別の、黄みがかった粘液が垂れている。
何だこいつ、と思った。
希恵もこいつも、死霊にしては余りに生々しい。今更ながら寒気がした。
熱も弾力もない指が首に食い込んでくる。
死んでる癖に。
躰も無い癖に。
私は、大笑した。
刹那、蒼い折鶴が螺旋に飛んで来て、ミユの腕を砕き、燃えた。解放された気管支が混乱と狂喜に痙攣する。盛大に噎せながらも笑い続ける私を、唐木と希恵は少し驚いた顔で見ていた。ミユは希恵の側まで戻り、砕かれた腕をふらふらと揺らしている。
――奈奈。
希恵にちょっと待てと手を振り、私は息を整える。
「いや、死んでる癖に、攻撃がやたら直接的で、憑き殺すとか呪い殺すとかじゃねえのかよ、て思ったら、つい」
面白くて。
大物だ、と唐木が困ったように呟く。店長は口を開けて阿呆面を晒している。希恵までが呆けている。呆けている希恵など滅多に見られるモノじゃない。それが又面白くて私は笑ってしまう。
――あのな、奈奈。笑い事じゃねえだろ。
「解ってる」
解ってねえよ、と希恵は硬い声で呟いた。
――奈奈、あたし達は失敗した。この娘は、多分限界だ。
どるり、と音がする。ミユの腹が膨れていた。どるりどるりと腹が膨張する。その都度、ミユの細く枯れた腕が直線的に舞う。粘液が彼女の毛穴から染み出る。
「何だよコレ」
――言ったろ。埋められたんだ。
希恵が突き放すような声で、憐れむように微笑った。破裂音がしてミユの顎が外れる。粘菌にも似た何かが這い出てくる。腹が裂けて上下に分かれる。その間を、粘菌が繋いでいる。
「希恵、おい希恵」
――落ち着けよ。らしくない。奈奈はもっと冷淡な筈だろ? 笑えよ、先刻みたいにさ。
「物事にはな、限度ってモンがあるんだよ」
最早ミユではない何かがくねり、粘液を撒き散らし、甲高い咆哮を上げる。私は救いを求めて唐木を見た。唐木はバケモノだね、と笑った。
「バケモノ、て」
――元来ヒトであった筈のモノが、想念や憎悪等により変質、変容した異形。そう云う物であたし達は埋められた。
希恵が僅かに肩を竦める。
――幸いにも、あたしは穴開きなんで埋まらずに済んでる。けど、
そろそろ其の穴も埋まりそうだと希恵は吐き捨てるように自嘲した。ミユだった粘菌が腕を振る。私は頭を抱え、屈みこむ。私の腕を、粘菌が掠めていく。じり、と膚が焦げた。か、と私は痛みに声をあげる。
「唐木さんッ」
唐木は鶴を折っていた。
「唐木さんッッ」
「煩い。黙ってろ」
折り上がった萌黄色の鶴を掌に乗せ、唐木が呟く。
発。
鶴が跳ぶ。ミユの周囲を舞い、霍乱する。唐木の指が忙しなく動き、鶴を折り上げてゆく。あらかじめ折っておけよと思わなくもないが、其れ処ではないので取り敢えず折鶴に関しては黙殺しておく。
七羽の鶴が縦横に羽搏き、ミユの頭上で何やら図を描いた。複雑に飛び回っていた割に横一本縦二本のシンプルな図だった。一羽余っている。絶、と唐木が上から下へ指先で空を切る。鶴が急降下する。ミユが裂ける。剥かれたバナナの皮を思い出す。
余った一羽が裂けた間隙に入り込み、胃袋の辺りで止まった。
結。
閃光が走る。私は腕を上げ眼を庇う。飛び散ったミユの残骸が腕を叩く。
ミユの残骸は、薄萌黄に燃えていた。ぐじゅり、と小さな悲鳴をあげてミユが溶ける。土に染みていく。
――容赦ねえな。
珍しく、実に珍しく希恵が眉を顰めた。
――あたし達はさ、一応被害者なんじゃねえの。せめて成仏させてやろうとか、ねえのかよ。
生憎、と唐木は意地の悪そうな笑みを含んだ声で応える。
「俺、宗教者じゃないんでね」
救ってやる義理はないよ。
――ダーティだな。
お前が言うか、と思ったが黙っていた。茶化せる雰囲気ではなかった。
――あたしはさ、どうでも良かったんだ。生きようが死のうが、どうでも良かったんだよ。無茶やって事故って囚われて餌にされて、喰い付いてきた馬鹿を差し出す。生きてても死んでてもやってる事大して変わらねえし、世界が終わる迄誰かがぶっ壊す迄繰り返す。それで別にいいと思ってたんだ。
希恵は眼線を下げ、掌を凝視める。じくり、と何かが滲み出る。
――その侭消えていけると信じてたんだよ奈奈。
わ、と発した私の声は少し掠れていた。
「私の所為かよ」
――なあ、奈奈。
希恵の眼が私を捉える。私は希恵の目尻に視線を彷徨わせる。希恵の目尻から染み出た粘液が頬を這った。
――お前何しに来たンだよ。
「確かめに、だよ」
確かめたかった。本当に希恵なのか。希恵なら何故此処に居るのか。未だ苦しんでいるのか。私が殺したのか。
――確認、取れたか?
「お陰様でな」
私は希恵の膚を這い流れる粘液を凝視する。
「怨まれてるんだと、思ってたよ希恵」
希恵が笑う。粘液が糸を引いて落ちる。
――何であたしがお前を怨むんだよ。何で、あたしが怨むと思ったんだよ。
「罪悪感」
だと思う。
「殺してやれなかった罪悪感からだよ」
だから、私が殺したと思い込んだ。多分、怨んでいて欲しかった。
――お前を前科持ちにせずに済んで良かったよ。
シニカルに笑んだ希恵の膚が弾ける。嗚呼、と希恵が芝居がかった溜息を吐いた。
――奈奈に会った所為で空っぽなのを思い出しちまったじゃねえか。
ぞろりと粘菌が希恵を破って溢れ出す。
「立派に漏れてんぞ、中身。埋められたんじゃなかったのかよ」
――ああ、コレはさ、うん、埋まるつうか、詰まる、だよな。
それが無念っちゃあ無念だと、希恵は笑った。粘菌が身を震わせる。粘液が飛んでくる。
――死ぬなよ奈奈。
唐木が韓紅花色の折鶴を掌に乗せた。
「待って下さい」
私は唐木の細い手首を掴む。悪いけど、と唐木は憐憫を帯びた眼で私を見た。
「助けられないよ。俺、出来ないんだよ、ホントに」
私はゆっくりと頷く。
「私に殺らせて下さい。私が殺ります」
極僅か、唐木の眼が揺れる。
――奈奈。
「待ってろ希恵。終わらせてやる、今度こそちゃんと」
私の手で。
「――唐木さん」
解ったよと唐木は面倒臭そうに腕ほどの長さの枝を拾った。ぷつぷつと呟いている。その間にも希恵は崩れていく。胴が割れて上体が右に傾ぐ。ぬこりと粘液が溢れる。
「希恵」
――奈奈、最期にもう一回言っとくわ。
生きろよ、と希恵は笑った。お前は生きろよ。初めて見る朗らかな笑みだった。
「生きるよ。言われなくても」
唐木からほんのりと緋く明滅する枝を渡される。良くは解らないがこれで殺れと云う事なのだろうと私は上段に構える。折鶴と云い枝と云い、様にならない事甚だしい。
――頼む奈奈。消してくれ。
「任せろ希恵。染みも残さず消してやる」
私は駆けた。

私には戦闘経験も格闘経験もない。
我武者羅に枝を振り回す私の姿は酷く滑稽だろうと思う。粘液に膚を灼かれ、避けようとして蹴躓き、薙いだ枝は空を切る。其れでも私は枝を突き出し、払い、振り下ろす。粘菌がみちみちと散る。希恵である部分は避けたかったが、そんな器用な立ち回りは出来ず幾度も希恵を打った。その都度濡れた膚を叩く厭な音がした。
奈奈。躰の何処かで私を呼ぶ希恵の声がする。
イタかったヨ奈奈。ああ、そうだなと脳内の希恵に相槌を打つ。
散った粘菌の欠片を踏んでしまい、盛大に転んだ。腕が振り下ろされる。咄嗟に枝を払う。とても軽い音がして枝が折れた。粘菌が腕を撓らせる。私は跳ね起きる。私の代わりに土が抉られる。私は只の枝を握り締めている。
唐木が折鶴を掌に乗せるのが見えた。イヤだと思った。
邪魔はされたくない。
私は拳を固め、腰撓めに構える。唐木の鶴より早く、確実に。粘菌が腕を振る。脇腹が空く。其の間隙。
拳が粘菌に埋まる。むぬりとした感触を弾き乍ら、私の拳は粘菌の中を進み、断ち切る。
希恵が二つになる。素手かよ、と呟く唐木の声が聞こえた。
二つになっても蠢く粘菌を、唐木の折鶴が焼却する。希恵は笑っていた。
私は大きく息を吐き、へたり込む。
希恵。


  ***
「谷崎ちゃんッ」
店長にトップスピードでタックルをかまされた。私はつんのめり、したたかに額を打った。
「凄いじゃないのッ」
首根っこを掴まれて引き起こされた挙句、両の拳を握られ振り回される。
「谷崎ちゃんって武闘派だったのね」
いや違う。
「人間、無我の境地に達すると何だって出来るって事ですね」
そうじゃないよ多分、と唐木が私と店長を見下ろす。
「谷崎は元々そう云うタチだったんだと思う」
「そう云うって何よ?」
「解り易く云うと破魔とか退魔とか」
「あらヤダ恰好いい」
いやいや。
「んな訳ないです。今までそっち関連はノータッチでしたよ。気配すら感じません」
「ずっと蹴散らしまくってたんじゃないの、無意識に」
んー、と唐木は蟀谷(こめかみ)を掻いた。
「チャンネルが開いたんじゃないかな」
「急に開いたりするもんなの?」
「ちょっとずつ開きかけてたんだよ、俺の傍に居た所為で」
「唐木さんの所為?」
「ほら、デンパとかって感染するじゃん。そんな感じ」
厭な例えだな。
「霊感が感染るってホントだったのね」
「受け手に素質があればだろうけど。谷崎にはあったんだね、気の毒に」
「あー」
休憩室で悪臭を感知したのは其れでだろうかと考える。
じゃあ、と唐木が手を差し出した。
「帰ろうか」

正気を失った玉木を店長が背負い、腹立たしい事に気絶なんぞをしくさりやがった野間を、私と唐木で引き摺り乍ら森を歩く。
「帰ったら色々説明してもらうわよ」
店長がずり落ちる玉木を揺すり上げ、唐木に視線を向ける。
「色々って、何」
「谷崎ちゃんの幼馴染が何故此処に居たのか、とか」
「掴まってたんだよ」
「何によ」
「だから八木沢におわす方々に」
「だから、其れ何者なのよ」
「バケモノ。妖怪でも異形でも怪物でも何でもいいよ。そう云う類。何で存在するのかは訊くなよ」
「八木沢の方々が野間ちゃんと玉木君を一度解放したのは何でなのよ。その侭とっ捕まえてれば良かったじゃない」
「満腹の猫は捕らえた獲物を甚振って遊ぶんだよ」
唐木さん、と私は野間越しに唐木を見た。邪魔だ。重いし。捨てて行きたい欲求に駆られる。
「八木沢病院は放っといていいんですか?」
「いーんじゃないの。俺ら関係ないし」
ですよね。言うと思ってました。
「唐木ちゃん、まだあるわよ」
「あるのかよ」
「あるのよ。唐木ちゃん、ねえ、アンタ何者なの。アタシの知ってる唐木はどうしたの」
唐木が僅かに眼を伏せる。ま、と店長は軽い声で笑った。
「云いたくなかったらいいわ。唐木ちゃんが何者でもアタシも谷崎ちゃんも気にしないもの。ね、谷崎ちゃん」
「え、あ……ええ」
嘘です。気になります。
「俺は」
ちらりと私を見る。唐木でも矢張り気になるのだろうか。
「谷崎ちゃんは知ってるわよ」
「そう。俺は、似たようなモンだよ」
八木沢の奴等と。只、と唐木は言う。
「俺は悪さしてるの見つかって掴まったけどね。唐木家初代の拝み屋に」
「……」
初代?
「唐木ちゃん……いつから存在してるの?」
「黒船来航以前からかな」
驚かねえ。
「驚かねえぞ畜生。驚かねえからな」
唐木が視線を寄越し、唇だけで笑った。
「で、呪縛された俺は代々の唐木さんにお仕えしてきた訳」
「使い魔ね」
語尾にハートが付いてそうな声音だった。
「格はもっと上」
でさ、と唐木は野間を担ぎ直す。
「明治の頃からかな、もういいんじゃないかって話が出てきたんだけど、代替わりの度に力薄まっててね、誰も初代の呪を解けなかったんだよ」
店長が視線だけで先を促す。
「俺も、別にこの侭でいいかなんて半ば諦めてて。だけど、音十が先祖帰りしちゃったんだよね」
「アタシと同級だった唐木ね?」
「うん。初代と同等か、或いは其れ以上の音十なら俺の呪を解けるんじゃないかって」
「それで?」
「それで、数年前かな、解放してやるからって言って出てったきり」
戻って来ない、と唐木は息を吐いた。あ、と私は思う。
「唐木さん、探し物って」
らしくない果敢無げな視線を私に向け、唐木は笑む。
「音十」

行きより幾らも短い時間で森を抜けた私達はピノの後部座席に野間と玉木を押し込み、気付け等と云いつつ唐木が取り出したタバスコを野間の鼻に垂らした。
絶叫が夜闇を引き裂いた。


  ***
大型二輪の傍に立つ唐木の肩を店長が掴んでいる。空は快晴で汗が滲む。週末は天気に恵まれお出かけ日和になるらしい。お天気お姉さんが云っていた。お出かけするには少し暑くはないだろうかと、私は思う。
「唐木ちゃん」
「何」
「ほんッとぉうに行くのね? アタシを置いて行くのね? 週末にアタシを一人にして行くのね?」
「行くよ。しつこいなあ」
唐木が店長の手を払う。
「唐木さん」
「谷崎まで何」
「唐木さん、その、店長と同級生の唐木さんは」
生きてるんですか。そう訊くのに私は何故か躊躇した。唐木が私の沈黙を読む。
「生きてるよ。僅かな残滓しか感じられないけど、それでも生きてる」
信じてよ。
信じてるでも、信じたいでもなく、信じてよと唐木は云った。
「信じたわ」
店長が頷き、私も其れに倣う。
有難うと呟いた唐木の声は、吹かしたエンジンの音に掻き消された。
「唐木ちゃん、ちゃんと帰って来てよ。お土産はなくてもいいから」
唐木は子供そのものの笑顔で手を振る。
「解んない」
遠ざかる唐木の背に店長が帰って来なさいよと声を張り上げる。
帰って来るだろうかと私は唐木を見送る。

信じる勇気-了


余りに酷すぎる。
色々酷すぎる。
ラノベ目指した結果が御覧の有様だよ。
途中で飽きたなんてレベルじゃねえぞ。
ここまでお付き合い下さった方、もしおられれば誠に有難う御座います。
無駄な時間過ごさせて済みませんした。

Written by kaito



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