遠。71-80


71:奏でる
幽かに音がする。彼女は眼を開け、薄暗い天井を凝視めた。
とてもか細い旋律が部屋の床を這っている。どうやら唄のようだと彼女はベッドから抜け出し、音源を探る。
ベッドの下を覗き、ラグを捲り、鏡台の引き出しを開けて、ああ、と彼女は手を打った。
きっとアレに違いない。
旅行から帰って来た侭、片付けられていないトランクを開け、彼女は数日前にとある島で手に入れた干し首を取り出した。
月の光に首を翳す。首はかぱかぱと口を動かし、確かに唄っていた。
そっかぁ、と彼女は溜息と共に呟く。
やっぱり一人じゃ寂しいもんねえ。
今すぐは無理だけれど、お金を貯めてまたあの島へ行こう。
そうして彼の友達になるような首を、また刈ってこよう。



****************
どうでもいい糞駄文の見本ですな。



72:艶

悲鳴が聞こえた。親父である。
だから言わんこっちゃない、と母さんは冷めた顔で茶を啜る。
昨晩、親父は俺と母さんの制止も聞かず、死を覚悟の激辛料理に挑んだ。その結果が家に広がる漣のような悲鳴なのである。
いい加減黙って欲しい。
俺の願いが通じたのか、親父は突然静かになった。
死んでたりしてね、と洒落にならない事を母さんは真顔で言う。
死因が尻穴の炎症、な親父を持ちたくはないので様子を見に行こうかと立ち上がりかけた時、廊下を走る物凄い音がした。がずん、と烈しくリビングのドアを開けた親父は、酷く気持ちの悪い、何かを遣り遂げた笑顔で俺の名を呼んだ。寒気がした。
「ショースケ、父さん今な、すっごいのを産んだぞ。来い、すぐ来い。見てみろ。ホントすッごいから。母さんも見てみなさい」
冗談じゃありませんよ、と母さんは視線すら合わせようとしない。
母さんの事は即座に諦めたのか、端から期待していなかったのか、親父は満面の気持ち悪い笑みで俺だけを見ている。俺は色んな物を諦め、諸手を挙げた。
「解ったよ。行くよ」
小さく鼻で笑う母さんに一瞥をくれて、俺は半ばスキップしている親父の後に続く。
「さあ」
笑顔で示された便器の中で、そのブツは確かに神々しいまでの紅い光沢を放ち鎮座ましましていた。



*************
海藤さんの精神構造は小学生男子とほぼ同じです。



73:生まれてこのかた

彼は生まれてこのかた一度も、自分の姿を見た事がない。
見せて貰えないのだ。
姿が映るような物には触れさせて貰えない所か、近付けさせても貰えない。 こっそり近付こうものならこっぴどく叱られる。歯を剥き出して唸る母親はとても恐い。
母親の歯は、彼のソレとは違う。違うのは歯だけではない。
母親はふさふさとした暖かい毛に覆われている。兄弟達の毛も、母親と同じで勁く暖かい。
彼にそんな体毛はない。ピンク色の肌に産毛が少しあるだけだ。
境遇に不満がある訳ではないけれど、母親や兄弟達との違いを見付ける度に、自分は何者なのだろうと彼は思う。
自分は出来損ないの畸形なのかも知れない。だから、母親や兄弟達みたいに巧く食餌を獲れない。
悩んでいると兄弟が側に来て、鼻先を擦り付けてきた。眠れ、と言う。
彼は血と生の匂いがする兄弟の毛に鼻を埋めて眠った。

其の日は良く晴れていた。
風も無く、食餌を獲るには丁度良い。
彼は兄弟達に付いて塒を出た。駆ける。
三方から兄弟達が複雑な軌道で食餌を追い、草間に伏していた母親が躍り出る。
彼もそれなりに奔りはするが、兄弟達には矢張り及ばない。
幾度か繰り返す内、彼は兄弟達とはぐれてしまった。彼は大地に鼻を寄せ、匂いを辿る。
兄弟達の残滓を手繰り、ほとほとと歩き出す。
大地には多くの匂いが落ちていた。弱い者、強い者。這う者羽搏く者。腐った者に死んだ者。生と血と尿。
畸形な自分は、匂いも畸形だろうか。
彼は少し哀しくなって立ち止まる。視線を上げれば荒れた大地の先に地平線が見えた。疎らに生えた木と彼以外何もない。暫時、彼は佇んでいた。

ほとほとと根気良く歩き続けた彼は、陽が沈む前に見知った水場まで戻る事が出来た。
此処からなら塒は近い。もうすぐ帰れる。良かった、と彼は思う。
安堵し緊張が解れた為か、彼は渇きを覚えた。
水辺には近付くなと言われているけれど、水分が欲しい。
それに。
彼の身裡を好奇が駆け抜ける。
見てみたい。母親や兄弟達とは異なる自分の姿を。彼は怕れと期待から顫える肢で踏み出した。
水面を覗きこむ。
奇怪な生き物が映っていた。
耳は薄く垂れ下がり、大きく捲れ上がって突き出た鼻は不細工極まりない。前方を睨み据える兄弟達の鋭くて奇麗な眸とは似ても似つかない、小さくしょぼんとした眼が水面から彼を凝視める。
彼は自身の貌を砕いて水を飲んだ。ごふごふと音を立てて自身を飲み下す。
遠くで声がした。兄弟達が帰っておいでと彼に吼えている。
彼はくるんと捩れた小さな尻尾を一、二度振って水場を後にした。
ぶふう、と鳴いて今帰るよと、彼は返事をする。届いたかどうかは解らない。
これでいい。自分は兄弟達とは全く違うけれど、構いはしない。母親も兄弟達も、自分を同胞として扱ってくれる。帰ろう。帰って兄弟の体毛に包まれて眠ろう。そうして、何かの折には兄弟達の糧になろう。
それでいい。



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インスパイア元は「われらの父の父」



74:少年と少年

殺したい? それとも殺されたい?
そう云って彼は僕を見た。深く落ちてゆくような眸だった。
僕は答えられない。

僕達はいつも一緒に居る。生まれた時からずっと、僕は彼の、彼は僕の傍に居る。僕達はそうやって育てられる。
十二年に一度行われる祭の為に、一時も離さず兄弟同様の、否、兄弟以上の繋がりを植え付けられる。
僕達は並んで座していた。
祭りの前の儀式。神掌と呼ばれる切り出された大岩の上で、僕達は最期の夜を過ごす。頭上では星が、眼下では集落の灯りがちりちりと揺れている。彼が、白い帷子の襟元を強く握っていた。
寒い? 寒くないよ。
僕達は躰を寄せ合う。いつも一緒に居た。生まれた時からずっと傍に居た。二人で生きてきた。
風が吹く。酷く腥い。

陽が中天に掛かる頃、僕達は集落の中央部に立たされる。十二年に一度だけ設える粗末なコロセウム。静か過ぎる衆人が僕達を注視する。二人の祭司が僕達の腕を掴んだ。僕達は西と東に、初めて離される。するりと僕達の体温が解ける。
さあ、と祭司が云う。僕は云われる侭に刀を取る。抜き放った刃は、先人達の悲哀に濡れて鳴いていた。
十二年前の彼等。二十四年前の彼等。さらに以前の彼等。彼等は知っていた。僕達も知っている。祭の年に生まれ墜ちた十二年後の彼等も、物心がつけば知らされる。自分達は殺し合うのだと。
銅鑼が鳴り、鉦が鳴り、鈴が鳴る。僕の母親が舞い、彼の母親が舞う。死にゆく息子達への神聖な舞踏。
殺しなさい。殺されなさい。其の腕は殺す為。其の胸は殺される為。切に想うなら殺して。殺されて。
同じ襁褓を使っていた。同じ匙で食事を摂っていた。同じ褥で眠っていた。彼の体温がなければ眠れなかった。
臥せれば付き切りで看た。僕の辛さで彼が泣き、彼の苦しさで僕が泣いた。彼の笑みは僕の悦びだった。僕の喜びは彼の笑みを生んだ。いずれ殺し合うと知っていても、知っていたからこそ、僕達は繋いだ手を決して離そうとはしなかった。
さり、と白刃が触れ合う。舞い終えた母親達が背を向ける。彼女達には見ない権利が与えられている。
鉦一つ。
殺しなさい。殺されなさい。
僕達は殺し合う。
殺し合い、残った方が祭を執り行う。
刃は幾度も交わって、高い悲鳴を上げた。僕には彼の動きが解るし、彼も僕の思惑が読める。
同じ物を食し、同じ日を生きてきた。体力も腕力もほぼ同じ。能力にも大して差がある訳ではない。
だから、いつだって、僕達は殺し合ってなどいないのだ。
十二年前も、十二年後も、僕達は決して殺し合ったりしない。
殺したい? 彼が訊く。それとも殺されたい?
僕は彼の眸を見る。深く、堕ちてゆくような。僕達の息が上がる。腕から力が抜けていく。僕も彼も、泣いていた。
君は、僕が訊く。君はどっち?
交差する刹那、彼は僕の耳に囁いた。殺して。
彼は笑った。泣きながら笑った。僕は只泣いた。白刃が胸を貫く。彼の血が僕をしとどに濡らした。
頽れる彼を抱き留める。ほんの僅か離れていただけでこれ程に懐かしい。彼の体温、膚、吐息。彼は顫える指で僕の頬を拭う。
僕はコロセウムの血溜りで彼を掻き抱く。彼が最期の声を耳朶に落とした。
また、後で。
僕は祭司に無理矢理引き離されるまで彼の骸を抱いている。もう一人の祭司が、さあ、と僕を立たせる。
そうだね。僕は遠ざかる彼に囁く。
結局、この祭で僕も死ぬのだから。
其れは、殺し合う事など出来る筈のない僕達への、せめてもの情けなのかも知れない。
嗚、君。
また、すぐ後で。



****************
言い訳以外の何でもないですが、ペース的にも実力的にもこの程度が限界なんです。



75:習い事

何をどう間違ったのかは知らないが、富豪の家に生まれて仕舞ったのでお嬢様学校に通っている。
ミッション系ではないのでそれ程お嬢様然としている訳ではないのだけれど、挨拶は矢張りご機嫌ようである。
ご機嫌よう、桜乃さん。あら月緒さん、ご機嫌よう。
廊下で上級生のお姉様と衝突しようものなら、それはそれは咲き誇る大輪の牡丹の如き笑顔で、貴女にお怪我がなくて幸いでしたわ、お気をつけて下さいましね、とおっしゃられる。
皆面白がっているだけだと信じたい。
カリキュラムには教養マナーなどと言う枠がある。嘘だ、と思ったが嘘ではなかった。襖の開け方を学んだ。閉め方はまだ教わっていない。音楽ではお琴をやるらしい。体育は薙刀で、芸術は華道、茶道、書道を万遍無く仕込まれる。
当然のように誰もが初心者ではなかった。お嬢様方は皆、幼少の砌(みぎり)より其々のお師匠に付いている。私とて一応はお嬢様の端くれ、師匠ぐらいいた。只、お稽古事の日は稽古よりも家人達との鬼ごっこに勤しんでいただけだ。最後の鬼であった母上が厭きれ返り諦めるに至って、私は漸うお稽古事から解放され自由を手に入れた。
私は勝利の愉悦に酔い痴れた。束の間であった。
授業では逃げるに逃げられない。母上の勝ち誇った笑いが憎い。痺れない級友達の足も憎い。先生方からは呆れ気味に、貴女はまず座する事を憶えなければなりませんね、などと言われる。
黙るがいい。私の足は座す為にあるのではない。逃げる、否基い、駆ける為にあるのだ。
と、言う訳で私は駆けている。
授業は仕方ない。諦めよう。だが、休日にまでお師匠達の呆れた顔や厭味に付き合うつもりはない。
背後で家人の呼ぶ声がする。当然無視して駆ける。金持ちは何故かしら高い所に住みたがるようだ。私は下り坂の助けを借り、加速する。
逃げ込む先は町内会の死に損ない、長老の家だ。
長老の家は爺婆の溜まり場になっており、私はまだ純粋で稚い頃から其処に入り浸っている。
其処で私は、時に戦争や借金や自殺した男の話を聞き、時に粋や洒落や生き様を学び、碁を習う。
碁は一向に強くならないけれど、其れは其れ。私は方膝を立てて縁側に座り、碁盤と向き合う。奥の座敷では婆どもが黒豆の煮かたに付いて意見を炸裂させ、爺どもは好き勝手な場所で好き勝手な事をしている。対戦相手の脂質翁は余裕ヅラで塩大福を貪りながら白石を置く。
私は方膝を寝かせ、胡坐をかいた。様になるねぇ、と長老が笑う。でしょう、と私も笑う。私の足は座す為にあるのではない。駆ける為にあるのだ。妙手発見。む、と脂質翁が唸った。やるようになったじゃないか、と言う。脂質翁は大仰に碁石を振り上げ、不敵に笑った。
「今こそお見せしよう、我が藤原流秘奥義玄武壱式参ノ舞火焔大車輪」
ばつ、と大きな音がして碁石が叩き付けられる。
只の二間ビラキであった。



**************
川原泉+「烏鷺寺異聞」



76:ラブリー

娘は最近、可愛いと云う言葉を覚えたらしい。意味も正しく理解してはいる。
勤め帰りに購入した犬の縫いぐるみなんぞを与えれば、可愛いねー、とほくほく笑う。天使そのものである。
只、何故か全部バラバラにする。肢を切り、首を落とし、腹から綿を引き摺り出し、可愛いねー、と言う。
陶酔した顔で微笑む娘の掌には、犬の生首が乗っている。
アレは一体どう云う事かね、と嫁に訊けば嫁は眉根を寄せ、解らないと首を振った。でもまあ、と嫁はすぐに眉根を開き、幼少期特有の純粋で無邪気な残酷さなんじゃない、と肩を竦める。
何となく違うような気もしたが、取り敢えず納得しておいた。
ねえ、ちょっと、と嫁が声を潜めて私を呼んだのは、其れから二月程経った日の夕刻だった。
何だい、と返せば無言で居間を指差す。見遣ればガラステーブルの上に盛られた赤黒い何かに手を突っ込み、恍惚とした表情を浮かべる娘がいた。
うん、と私は嫁に少々引き攣った顔を向ける。
「何かな、あれは」
「内臓よ」
「は?」
「内臓なの、魚の」
嫁曰く。珍しく盛大な釣果のあったお隣さんから釣りたての魚を頂いたので、新鮮な内にと捌いていたらしい。
「そうしたらあの子が寄って来て、可愛いねー、て言うのよ」
「何が?」
「そう思うでしょ? だからあたしも訊いたのよ、何がって」
訊かれた娘は、それー、と腸を指に巻き付けたのだそうだ。
「臭くなるからやめなさい、て言ったんだけど聞かなくて、取り上げようとすると泣き出すの」
「泣くの? 内臓で?」
「泣くのよ、内臓で。でね、泣いても構わず取り上げて捨てたのよ」
「物凄く捏ね繰り回してるけど?」
「拾ってきたの、ゴミ箱から」
「自分で?」
「自分で。で、ずっとアレ」
娘は腸(はらわた)を両の掌いっぱいに掬い上げ、それはもう、実に心底陶酔した眼で眺めていた。
「ねえ」
嫁が袖を曳く。私と嫁は暫し凝視め合った。嫁の泣きそうな顔を見るのは久しぶりだな、などと暢気に思っていたら小さな足音が近付いてきた。パパー、と天使もひれ伏す笑顔で娘が呼ぶ。例え両手に贓物がてんこ盛りであったとしても天使はひれ伏す。言い切れる。
娘は其の贓物をずずいと突き出し、銀鈴のような声を転がした。
「パパとママのお腹にもこれあるー?」
「……ああ、うん」
あるけどね……。



**************
インパクトが欲しい。



77:王家直属

老人は名をマクシミリアンと云う。
本人がそう言っているので、多分そうなのだろう。
戸籍はない。方々手を尽くして調べたが、老人の身元を証明する物は何もなかった。
彼は今、中庭の噴水に腰掛け、小児病棟の子供達にお話を聞かせてやっている。
彼の話は現実味に富んでいて大層面白い。古の騎士団や姫君の話をまるで見てきたかのように語る。
実際に見てきたのではないかと、思う事もある。
百合の褥に薔薇の姫君。仕える太子は勇敢で機知に富み、慈悲深い。時に罪も恥も畏れぬ近隣の蛮族を打ち払い、時に隣国の騎士と刃を交え、時に圧政を布き民を苦しめる領主の征伐に向かい、其処で美しい娘と出逢う。
幼い太子は成長し、民の苦痛に眉を顰め、己が想いに身を焦がす。
彼は、発見された時、下穿きだけの姿で呆と森の前に佇んでいたらしい。
保護した警官が身元を訊ねれば、自分は某騎士団所属の者であると応え、太子の元へ戻らねば、あの方をお護りせねば、と騒いだ。其の為彼は私の所へと送られた。正気を失った憐れな老人として。
私の所へ来る迄に何事かを悟ったのか、私と対面した彼は悲哀とも驚愕とも恐怖とも違う、或いは其れらを捏ね合わせたかにも見える、何とも形容しがたい顔でマクシミリアンだと名乗り、私は異邦人のようなモノかも知れないと言った。以来、行く所もないので此処に居る。一度、彼は仕事を探し此処を出ようとしたが、私が留めた。貴方がいなくなれば子供達が哀しむ、子供達は貴方に底抜けの好意を持っているのだから、と。そして私も彼に好意と興味を持っている。
彼は騎士団に所属していると申告しただけあって、品行は実に方正で礼儀に煩い。子供達が彼によって躾けられてゆく様は見ていて清清しいが、気付くと私も躾けられてしまっていたりする。チョコレートバーぐらい好きに摂らせてくれてもいいじゃないか。半ば恥を隠すようにそう抗議すると、子供達が見ているよと彼は笑った。雛は親鳥を見て飛び方を知るのだ。子供の傍に居る者は正しくなくてはいけない。けれど、正し過ぎてもいけない。ぐ、と親指を立てた彼は、爽やかな笑顔で子供達と共に院内に悪戯を仕掛けて回った。単純でありながら巧妙なその仕掛けは、面白い程に職員や患者達を引っ掛かけていった。誰かが罠に嵌る度、彼と子供達は嬌声を上げ、はしゃいだ。怒り出す人間は、誰一人としていなかった。誰も怒れなかった。危険だと見るや否や、彼はそっと獲物に近付き巧みに執り成した。こう云った状況での彼は、海千山千と呼ぶに相応しい手管を発揮する。
子供達と一緒の彼は陽気だ。陽気で知恵のある子供好きな老人として振舞っている。
子供達が去った後の彼は酷く哀しげだ。禿げかけた森の向こうを見遣り、立派に使命を全うされたのですね、と呟いたかと思えば、下穿き以外の唯一の持ち物である鷲を象った指輪を凝視め、涙ぐむ。
確か、森の向こうに古の王城があったのではなかったか。その王家は紋章に鷲を用いていたのではなかったか。そう考え、私は首を振る。
時折、思い出したように市の役員が訪ねて来ては問題ありませんかと訊いてゆく。私はありませんと応える。
全く、ありません。
どんな検査をしても彼に一切の異常が認められない以外は。



**************
偶にはどストレート。



78:ペット

妹が家出した侭帰って来ない。
それは別に構わないのだけれど、母親が憔悴してしまっている。
「妹さん幾つ?」
「十六。いや、十七かな」
なぁに、と彼女は膝に抱えた彼の髪を弄(まさぐ)った。
「妹さんの年も知らないの?」
「うん。一昨年まで生き別れてたから」
「嘘ばっかり」
嘘じゃないですよー、と彼は眼を閉じる。
「嘘でしょ」
「嘘です」
「どっちよ」
「嘘」
顳に爪が捻じ込まれた。
「痛いです」
「痛めばいいわ」
彼は彼女の手首を掴む。細いなと思う。
彼は妹の歳を正確には知らないが、彼女の歳は全く知らない。年上で、会社員。それ以外は名前と、この部屋の事しか知らない。
「でも」
彼女が三日月に経込んだ顳を撫でる。
「心配ね、妹さん」
「そーですね」
変な物に手を出してさえいなければいい。
「お星様に訊いてみればいいんじゃない」
「応えませんて」
「天文サークルでしょ?」
「それ無関係」
「占いしないの?」
「しない」
「何してんの?」
「星見てる」
「野郎ばっかで星見てんの?」
「そう」
「馬鹿なの?」
「うん」
だって、と彼は体を起こした。
「馬鹿って楽しいでしょ」
そうねぇ、と彼女は微笑う。
「可愛いとは思うけどね」
くしゃり、彼の髪を掻き回す。
「ご飯、行こうか」

胃に肉を詰め込んだ後、街を徘徊していたら部長と声を掛けられた。
「あ、妹萌橘にSM小栗に乳松本に、その他諸々」
七、八人の野郎どもが厭な形相で近付いてくる。
「何、サークルの子?」
「そう。愛すべき変態紳士達」
部長、と乳松本が少し声を荒げる。
「やっぱ部長じゃないですか」
「妹が未だ家出中の部長ですが何か」
「何かじゃないですよ、まさか、まさか部長にまで裏切られるなんて」
「俺様なんも裏切ってねえよ」
「これを裏切りと呼ばずして何を裏切りと呼びましょうや」
乳松本の後ろから喝采と野次が飛ぶ。
「あー、まー、落ち着け変態ども」
「そうよ、落ち着きなさい青少年」
か、とヒールを鳴らして彼女は腰に手を当てた。
「あなた達、あたしを彼女か何かと勘違いしてるようだけど、いい? 良く聞きなさい」
親指を彼に突き付ける。
「コレはあたしのペットよ」
ザ・ワールド。世界は静止する。
誰よりも早く静止した世界から抜け出したのは妹萌橘だった。
橘が泣きながら彼を殴って逃げる。其れを契機に他の変態紳士達も彼を殴り、脱兎の如く逃走していった。
「ねえ、君」
「何ですか」
彼は蹲り、涙声で応える。
「君、あの子達の事大好きでしょう」
「そりゃあ、ね」
涙を拭って彼は笑う。
「馬鹿なペット程可愛いからね」



*************
リア充達と生活区域は分けて頂きたい。それは兎も角荒木先生に敬礼。
関連お題・・30:バツグン 33:メグミ 37:空 47:メールにて 56:夜更けに咲く



79:ギャンブル

ジャンケンで順番を決めよう。
ジャンケン?
ジャンケンか、いいかも知れん。
全員で行けば良くね?

三連勝した奴から順に、中道さんを祭に誘いに行く。
まあ、いいけど。
三番目まで回らなくても恨むなよ。
だからさ、三人で行けば良くね?

あのね、井沢君。僕達は、中道さんと、二人で、行きたい訳。
そう。川元の言う通り。三人で誘ったりなんかしたら、四人で行く羽目になりかねんしょ。
川元と香芝は邪魔なんだよ。
佐々木、お前も邪魔。
と、云う訳だから、ガチでゲイな井沢君はちょっと黙ってて。

で。普通にジャンケンしても詰まらねえから、心理ジャンケンといこう。
出す手をあらかじめ宣言する奴か。
宣言通りの手を出すも出さぬも自由て奴な。

よし、じゃあ、グー。
チョキ。
なら、パー。

ジャンケン。
まずは全員、宣言通り。

ふん、チキンどもめ。チョキ。
お前もだよ。チョキ。
勝負。パー。

佐々木、敢えての負け宣言。
ジャンケン。
佐々木、チョキ。香芝、グー。川元、グー。
佐々木、読み損ねる。

佐々木がバカで良かった。パー。
うん、良かった。チョキ。
畜生。パー。

佐々木、又しても負け宣言。

何考えてんだ、お前。
佐々木は何も考えない方がいいよ。
黙れ。

ジャンケン。
川元、パー。佐々木、パー。香芝、グー。
香芝、ここにきて痛恨のミス。

ッしゃ。リーチ。グー。
ありえねえ。キョキ。
許されんぞ、こんな事。パー。

ジャンケン。
川元、チョキ。香芝、パー。佐々木、グー。
川元、無念のミス。
勝負は振り出し。


「井沢ー。そのナレーションやめてくんね?」
ざわざわするから。



**************
別にざわざわしませんね。力不足が口惜しい。
福本伸行リスペクト。



80:まわる

かたりかたりと糸車
命運抱く繭玉を
壊しゃせぬかと慄きつ
小娘一人紡ぎ出す

ゆるりとまわせ糸車
そろりと紡げ宿(しゅく)の命(たま)

父(とと)様恋いし一巡り
母(かか)様愛(いと)し二巡り
三つ巡りて虚無を知り
四つ巡りて無常と哂う

生まれ堕つるは罪の魂(たま)
汚れ穢れし人の世は
仏捨て置く欲の釜

されどもまわせ糸車
そろりと紡げ業(ごう)の命(たま)

悲喜も苦楽も紡ぐ侭
糸絡まりしは疾く解(ほど)け
解(と)かねば病罹りょうぞ
切れれば命運尽きようぞ

紡げし繭玉呑み込んで
人の世人腹(ひとはら)巡りゆけ
幸も不幸も我(われ)の責

覚悟でまわせ糸車
そろりと紡げ己(おの)が命(たま)



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所々リズムが狂いますね。悔しい。






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