BAD END   約束      狂気   囀り      泥沼   白霧   雨。

ぼく   みち   欠落   咲く      短文   昔恥   過去   未来   現在

      想い   無題   天穹   蜘蛛

東へ西へ(プロット原案)

昔恥―十二国記二次
















  
BAD END

私は死ぬ事が出来る
其処は何も無い昏闇で、倦怠と怠惰と躊躇いに支配された虚空。私は最後の言葉すら失って、只、しゃがみ込む。哭き疲れ、枯れ果てた躰はぬむり、と闇に呑まれ、崩れ去る。
一つ残された眼球が虚空を凝視め物を思う。
世界を探していた。物語が視たかった。紡ぐ言葉を欲していた。受け入れて呉れる大地を求めていた。
世界は何処にも無かった。物語は視えなかった。言葉は紡がれる事を拒絶した。伸ばした腕は大地にまで届かなかった。
腱が千切れる程に伸ばした腕は何も掴めず零れていった。
私は何をしていたのだろう。
眼球が乾いていた。眸子が痛んで、ぬるりとした最期の涙が眼球を包んだ。
何も無かった。私には何も無かった。膜の張った虚空を凝視め乍ら、幾度となく呟いた言葉を思う。握り締めていた私の掌には砂一粒入ってはいなかった。何も持たず越えるには、この場処は厳し過ぎた。頑張りはしたけれど、独りでは辛過ぎた。叫んだ声が誰にも届かないのは哀し過ぎた。助けて欲しかった訳でも、慰めて欲しかった訳でも無いけれど、せめて誰かに知って欲しかった。一人の愚かな背徳者が、此処で惨めに生きている事を。何も赦されず、何からも受け入れられず、罪に塗れている事を。
涙が乾いた。眸子が又痛む。眼球の白い部分が濁り、罅割れる。
ああ、痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。眼が痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。ああ何が痛いのだろう。からからと、白眼が剥れる。風ではない、生ぬるい何かが吹いて、白眼の欠片を飛ばす。からからから。転がる。欠片と共に。転がる度に、白眼が剥れて小さくなって消えて。後にはからからと音だけが虚空に響いて、幾許かの笑声を残して、其の音も失せて。全て消え失せて。
私は死ぬ事が出来て。


約束

風が流れて
花が散って
きっと其れは
変わる事の無い
約束で
夜闇の紫紺に
白い月が掛かるように
昼日中の幻想を
淡く視るように
果敢無くて
奇麗で
脆い物語は
此処に
跡だけを残して
虚空に消えて
生きる為の物語を
亡くした僕に
優しい音は
壊れた世界の
滅びた音で
其の
哀しくて
愚かで
凄艶な狂気を
唄うようにうねる
旋律が揺れて
星霜が零れて
僕は消えて
きっと其れは
変わらない約束で


  


そして君は何処へ行く。
其の声は、老いて尚若くあるようで、この上なく若いのに老いているようでもあった。時折、頭蓋に響く問い。君は何処へ行くのだ。
男の傲慢さと、女の驕慢さを綯い合わせ、人間らしさを排除した音は、酷く煩わしい。ざらざらと脳を甚振る。君は、君は何処へ、何処へ行く、行くのだ。
知らないと応える。知る筈が無い。知っているならこんな処で狂ってはいないだろう。狂わずに生きていただろう。凡てを捨てる事なく、何も彼も諦めずに生きていただろう。
憐れよと声が嗤う。愚かよと声が詰る。消えてしまえと私が希う。声も私も、塵さえ残さず消えてしまえ。声は笑う。哄笑する。ざらざらと。煩わしい。
汚れた便所の、曇った鏡に私が見える。身勝手で、驕る事しか知らぬ、唾棄すべき人間。厭な臭いを放つ私の眼は、濁っている。細い茫洋とした眼から立ちのぼる死臭が見えた気がした。
君は。ざらざらと。何処へ。白いノイズ。行く。白濁した音。私の世界の凡てを支配する。何処へ行くつもりなのだ。私は知らない。知っているなら教えて欲しい。私は何処へ行けばいい。私は何処へ行くべきなのだ。声はまた笑う。冷笑する。私は悪心に耐える。務めを忘れた胃液に咽喉が焼かれる。吐いてしまおうか。楽になるだろうか。曇った鏡では、醜い私の顔が更に醜く歪んでいた。
罅割れた洗面台に悪心をぶち撒ける。口の端に下がった黄色い体液。私は哂った。声と共に。ああ。愚かな者よ。声が云う。ああ、私は愚かだ。態々教えてくれなくとも知っている。
何処へ行きたいのだ。
私に行きたい場処など、私の行ける場処など、あるのだろうか。黄色い体液から腐敗が臭う。私の臭いだ。死が腐る臭い。其れは甘くすらある。鏡の向こうでは、あらゆる背徳で捏ねたような白い顔が嘲笑していた。
声は問う。君は何処へ行く。私は黄色い体液を吐き、哂い、声を聞く。声が問う。何処へ行く。私は哂う。
そして。私は何処へ行くのだろう。

  
狂気

病と狂気に冒された翼で、それでも羽搏くと云うのなら、もう止めはしないけれど、羽搏いた其処に在る悲哀を、苦痛を、屈辱を、貴方は理解し、覚悟しているのだろうかと、私は云いたくて口を開くのだけど私の言葉は声にならず、私の思いは貴方に伝わらず、私はもどかしくて、只、貴方の気配を真白な闇に探り、貴方が羽根の殆ど抜けてしまった、血塗れの、灰の色の襤褸屑にも似た翼を顫わせて必死で羽搏こうとしていながらも、一向に羽搏けないでいるのを知ると、酷いと思いながら、弱いだけの私は安堵して、少し厭気がさしたりするのだけれど、其れだけ貴方が羽搏こうとしている先には負の世界しか無い訳で、出来うるなら貴方には羽搏かないでいて貰えればと願う事もあって、でも、私は貴方を引き止めるだけの言葉をもう持ってはいなくて、貴方に愚か者と嘲笑されても、何かを育む事など決してないような、荒廃の激しい枯れ朽ちた世界を、自分の凡てを傷付けながら、自分の凡てに傷付きながら目指し、其れ以外の生きる場処を視付けられない等と云ってのける貴方を、私はどうしても理解出来なくて、私は弱いから、私は愚かだから、私は何も彼もから逃げてきたから、私は闘い方が解らなくて、私は闘う術を持っていなくて、だけど、其れは貴方も同じ筈なのに、貴方は私が逃げ出そうとする世界へ向かおうとしていて、私はそんな貴方を理解しようと努めているのだけど、矢ッ張り蒼白な肌に屍人の虚ろな夢を纏い、悲痛に声をあげる貴方の想いが解らなくて、どうして解らないのだろう、どうして私の胸は、貴方が胸に隠し持った希いの痛さを知ろうとしないのだろう、どうして私は貴方の持つ虚無にすら似た思惑を解けないのだろうと、悩んでしまう、私は貴方なのに。


囀り

囀りが聞こえる。
羽搏きが聞こえる。
冷えて顫える躰を容赦無く雨が打つ。
流れる雫と共に僕から快楽が抜けてゆく。
直ぐ傍の露地で雨に濡れた子供の屍体が転がって居る。
殺した数など、最早憶えていない。
哄笑する僕の耳奥で囀りが聞こえた。
羽搏きが聞こえた。
煩い。
両の掌で耳を覆うけれど、囀りは止(や)まない。
ちりちりちりと、何かが嗤う。
ばらばらばらと、何かが近付く。
雨の中、
貌を上げた僕の眸に男が独り、映り込む。
男の背には三対の赫い翼。男は嗤っている。
ちりちりちり。
微笑っている。
嗤う口唇が朱い。弓形(ゆみなり)の朱い口唇、掌に握られた其の口唇に良く似た紅い何か。
男は紅い繊月のような其れを振り上げる。
今までに屠った子供の貌を思い返す間も無く、僕の首は、繊月の先端でゆうるりと揺れて居た。
僕の、残された躰が、ずくずくと崩れて細かな蒼い砂になる。
排水溝が僕だった砂を呑んでゆく。
僕の首を揺らして男が嗤った。
ちりちりちりと。
男が三対の翼を激しく顫わせて消えてゆく。
ばらばらばらと。





呪われた花が咲くように
清澄な絶望が
凡てを覆い
滅びを呼び醒ます。
滅びに触れた
黄昏色の花は
薄い花弁を顫わせて
暁に似た虚無を産む。
産まれ堕ちた虚無を
僕達は知らず
己が身裡に巣食わせて
空疎で短い刻を浪費する。
浪(みだ)りに刻まれた生に
途惑う僕達が
凡てを諦めながら
それでも何かを求めるのは愚かだから。
愚かさから求められた何かは
足掻く僕達を凝視め
冷めた口唇に昇る
嘲笑を投げる。
投げられた嘲りで
憐れな僕達は狂い出し
情愛の名の元に
殺戮を繰り返す。
繰り返された殺戮が
僕から狂気を奪い去り
縋る術を失った僕は
狂気を真似て夜毎髪を抜く。


泥沼


沼に嵌まった侭動けないでいる。ぬむぬむと沈んでゆく。恐らく底は無く、助けも無い。私は既に口までをその泥沼に埋めている。然程の時間もかからずに鼻が埋まるだろう。そうなれば私は息が詰って死ぬのだろう。苦しいだろうかと考え、苦しいだろうなと思う。何故だか笑いがこみ上げてくる。咽喉を塞ぐ泥水が、くぷ、と音を立てる。最早嘆く言葉すら出ては来ない。只只、笑いがこみ上げる。
何て滑稽なのだろう。
滑稽で憐れで愚かだ。自らの愚かしさに足を取られ、沼に嵌まった。ぬむぬむと沈んでゆくのを、呆けたように只視ていた。
私の助けを求める声は何処かに、誰かに届いていたのだろうか。否、そもそも私は助けを求めたのだろうか。もっと早くに足掻いていたなら私は助かったのだろうか。沼から抜け出せたのだろうか。
否否。
口まで埋まってしまっている今となっては何を云おうとも意味が無い。
私は沼に嵌まっているのだ。泥水は私の口を覆ってしまっているのだ。何も彼もが手遅れで、どれも此れもが虚しい。
せめて泣ければ良いのにと思う。肺を捻り潰したような声で泣き喚く事が出来れば良いのに。私はもう泣く事すら叶わない。私は泣けぬ代わりに笑うのか。憤った感情を吐き出そうとして笑うのか。呪詛を止めようとして笑うのか。其れとも、嘲っているだけなのか。くぷくぷと咽喉が鳴る。笑っている。私は笑う。泥水を咽喉に流し込んで私は笑う。愚かだ。死を前にしてすら私は愚かだ。助けて呉れとは云わない。助けなど無い事はとうに知っている。だから、呪うべき相手を教えてくれ。私だけなのか。凡て私の愚かしさの所為だと云うのか。生まれ堕ちたのも私の所為だと云うのか。この手が何も掴んでいないのも、生きゆく為に必要な何かが欠けているのも、世界に馴染めないのも、独りなのも、凡て私だけの責任だと云うのか。私以外の誰にも、一切の責任は無いと云うのか。私だけが罰せられるのか。私の罪はそれ程までに重く深いのか。生きる場処を失うほどに赦されぬものなのか。私だけが死ぬのか。私だけが人生を失うのか。
私だけが。
死にたくないと、私は泥を呑む。死にたい筈がない。私はまだ何も手に入れていないのだから。私の人生はまだ始まってもいないのだから。
死にたくないと思い乍ら、私はぬむぬむと沈んでゆく。


白霧


白い白い霧の這う
罅割れた大地に
朽ちた夢の残骸を
砕けた命の欠片を
腐った私の思惟を
撒き散らして只歩く
木偶にも似て愚鈍で
朦朧とした私の
堕ちた世界は真白に
閉ざされた闇の中
足掻けば脳に肺に
霧が絡まりついて
呼吸と思考は搦められ
更に深い闇へ堕ちてゆき
叫んだ声も真白に消され
疲弊に咽ぶ汗は重く
零れた先から霧に溶け
霧は尚濃い臭気と瘴気で
僅かに覘く蒼い空と
空に開いた穴のような乳色の月を
私の眸から奪い去り
断たれた希いと
押し付けられた諦念に
為す術も無く項垂れた私は
穢れた精神を纏い
邪な慾心に巣喰われ
爛れた思惑を曳き摺って
罅割れた大地を
白い白い霧と這う


雨。


雨。
激しく地を叩く。
自転車はもう、濡れそぼっているだろう。

僕は今し方駆け下りた階段を見上げる。
忘れ物をした。机の中。
全部読んでいないのに。

又、三階まで駆け上る。

雨。
傘が無い。

勢い良く扉を開ける。

誰もいない筈の教室に、人影が一つ。

僕の机。

彼は微笑う。
僕は彼を知っている。

たつ。
雨。
窓を打つ。

けれど、彼は僕を知らないだろう。

たつ、

彼は、一つ年下で、良く目立つ。
彼は、人目を惹く。

だから、
僕は彼を知っている。

たつ。
雨は一層激しさを増す。

僕は、目立つ方じゃない。
同学年でも、僕を知らない人はいるだろう。

だから、
彼が僕を知っている訳がない。
そう思った。

窓を打つ雨の音が変わる。
風が交じっている。

彼は微笑った侭口唇を開く。

今日の僕はつくづくついていない。

先輩。

僕を呼ぶ彼の声は、しかし、雨に遮られて届かない。
けれど、僕は彼の音を知っている。

君は、
君は僕を、

知っています。
何故、
見てたから。

何を。    何故。

先輩。

二度目の彼の声は、僕の耳に鮮明に届く。
彼は、
僕の傍にいる。

忘れ物。

差し出された少年誌を、少し顫えて受け取る。

傘、無いでしょう。

そう、僕には傘が無い。

天気予報士のお兄さんを、信じれば良かったのだけれど。

俺、あるんです。

何。

傘、貸します。その代わり、

何、

チャリンコ貸して下さい。

でも、

良く、解らない。
上手く呑み込めない。

でも、君が、

先輩、後ろで傘差してて下さい。
俺の家、先輩のとこから結構近いんです。

彼を見上げる僕の眼は、どんな色を湛えていたのだろう。
彼の眼は、少し哀しげに僕を凝視めていた。

ね?

雨。
止む気配は無い。
長い、秋の雨。

雨音だけが僕等を包んで。

何故だか僕は、頷いていた。


ぼく


はてのないぼくは
そらにかえり、
だいちにふりそそぎ、

せかいにみちる。

ぼくがうまれたのは、
たたかうため。
せかいにみちたすべてと、
たたかうため。


みち


ぼく。それはゆくもの。
それはかえらぬもの。
それはつねに、
なげきと、えんさと、かいこんと、
じこまんぞくと、
かなしみによいしれたおろかさに、
まみれてしまうもの。

だれもみな、
おさないじぶんをかかえて、
うろたえてゐる。

ぼくがなく。だから。
ぼくはあわててぼくのきげんをとる。
なにがこわいの。なにがきにいらないの。
ぼくはどうしたいの?

ぼくはゆくものぼくはかえらぬもの
ぼくはこうかいでかたちづくられるもの
ぼくはふりかえるもの
ぼくははいごにそんざいするもの
ぼくははいごにしかみとめられないもの。

ぼくはしるべのないみち。


欠落


醜悪な傷が咽び哭いて、刻を知らせる。最早猶予は無いと、痛みで警告する。血は生気を奪いながら止め処無く流れ続け、哄笑と嘲笑と憐憫を溢れさせる。私は其の侮りと蔑みと貶めに絡み取られ溺れてしまう。足掻く事すらせずに沈んで、凡てを呪い寿ぐ。
可哀相ねと誰かが嗤うから、私は決して不幸せなんかぢゃないと哭く。いいえ、と誰かが憐れみに似た声で云う。いいえアナタは幸せも不幸せも、何も解りはしない。そうでしょう? アナタは欠けているのだから。ああそうだ私は欠けているのだと、哀しくなる。
哀しくなったような気がする。
顎からはたはたはたと、足先へ涙が堕ちて行く。何故哭くのだろうと思う。私は何も解りはしないのに。
芥ねと誰かが云った。
芥が入ったようなモノね。アナタの其れは感情とは無縁の、生理的な作用でしかないわ。ならば、と私は零れ続ける涙を拭おうともせず、誰かに問う。
ならば、私が今、止め処も無く体外へ排出している此れは、一体何なのだろうか。
芥よ。
誰かの声が抑揚も無く響く。身の裡、或いは脳の深淵に溜まった芥。無用の塵芥。
はたりと涙が足の甲に堕ちた。
蒼い血管の浮いた生白い足。芋虫のような指が大地に張り付いている。
可哀相なアナタと誰かは歌う。
感情を持たぬ可哀相なアナタ。他を求める事を知らぬ可哀相なアナタ。希いを欲する事を知らぬ可哀相なアナタ。幸も不幸も解らぬ可哀相なアナタ。欠けたアナタ。可哀相ね。とても可哀相。
やめてくれと私は云う。其れでも私は行かねばならない。ヒトとして、ヒトの世界で歩かねばならない。だから可哀相だと云うの、誰かはそう声を落とした。
声は重みを帯びて、深く深く沈む。闇色の底に、声の波紋がゆるゆると広がる。
人の世界で、人として生きなければならない人外のアナタ。人は異端に敏感だわ。異質を唾棄するわ。容赦なく侮蔑し、軽んじ、嘲笑い、攻撃するわ。罵って陥れるわ。
だから何、と私は吐き棄てる。
そうであったとしても、どう仕様もないじゃないか。誰かは押黙る。須臾の間、無音が散らばって弾ける。こちらへ、と誰かが絞ったような声で云う。
こちらへいらっしゃいと云ってあげられれば良いのだけれど。二度(ふたたび)溶け出した無音を、私は掻き消す。そうだね、私には行く場処も還る場処も無いから。
本当に、と誰かは眼を覆った。可哀相な子。不憫な子。欠けたアナタ。両の眼を片方の掌で覆った侭、誰かが歌い、舞う。
人の世に生まれた人ではないアナタ。人としての凡てに欠けたアナタ。救いを求めて腕を伸ばして御覧なさい。有らん限りの声で叫んで御覧なさい。何処にも届きはしないから。虚空を掴む事さえ出来はしないから。
世界はアナタを見棄てたの。アナタが世界を見棄てたように。さあ、アナタ。カケラのアナタ。闘って。アナタを見棄てた世界に、アナタが見棄てた世界に、君臨するの。アナタの存在を赦さない、けれど其処で生きるしかない世界の、凡ての上に君臨するの。
異端故に、異質故に、人外故に、アナタに与えられた唯一の術。欠けたアナタに出来る只一つの事。紡いだ言葉で闘って。感情を持たぬアナタ。表情の変わらぬアナタ。自己を信じぬアナタ。自我を疑うアナタ。世界に馴染めぬ欠けたアナタ。言葉に霜刃を搭せて振り翳すの。さあアナタ、欠けたアナタ、と誰かの舞いは止む気配を見せない。私は居たたまれなくなる。
闘って闘って闘ってと誰かが繰り返す。闘ったよと私は応える。駄目よアナタと誰かは哀しげに嗤い、翔ぶ。
駄目よアナタ。可哀相なアナタ。不憫な子。言葉で闘って。自らを傷付けながら立ち向かうのは止めにして。誰も解りはしないから。欠けたアナタの、欠けた痛みと苦しみは、誰にも伝わりはしないから。だからアナタは灼けた言葉で薙ぎ払って、凍てる言葉で貫いて。
無茶を云う、と私は白けた息を吐く。そうね、無茶ねと、誰かがひたりと止まる。掌に隠された眼で私を見る。
けれど其れしかないの。
欠けたアナタ。可哀相なアナタ。不憫な子。
他には無いの。知っている筈よ。解っている筈よ。そうでしょう、不憫なアナタ。
私は頷く。誰かも肯く。
可哀相なアナタ、不憫なアナタ、欠けたアナタ。還る場処は言葉で勝ち取って。
誰かが再度舞い始める。


咲く


花は咲く。
其の枝の下で人が殺し合おうと、頚を吊ろうと、花は咲く。
闇が濃い。粘り付く様な闇が這いずり廻っている。先等視えはしない。探る為に伸ばした手も、闇の中で本当に存在しているのか、酷く曖昧で、確信が持てない。闇に搦め取られながら歩いているけれど、歩いていると思っているだけで、其の実、私等は存在していないのかも知れない。
只、闇。
落とした声すら闇が呑む。吐息も吸息も闇に混じる。耳朶に触れるのはとろとろとした闇の音ばかり。闇に埋まる。立ち止まる。闇が流れる。私を置いてゆく。待ってくれと私は二度(ふたたび)歩き出す。
私の脚は何処だろう。私の腕は何処へ行った。私の膚は。私の髪は。私は何処だ。
嗚呼、闇だ。
闇に溶けた。私は闇だが、闇は闇で、決して私ではない。闇が流れる。溶けた私を運び去る。否も応もない。私は只流される。流され、千切れ、消えてゆく。かつて私だったかも知れない断片。とぴとぷとぷと闇に成る。何も彼もが消えて私は居なくなる。人知れず、居なくなる。誰も気付かないだろうし、誰も気にしないだろう。闇は流れてゆく。私は流されてゆく。千切れ乍ら、消え乍ら。其れで良い。其れで構いはしない。私等消えれば良い。愚かで、嘆かわしく、邪な私は消えれば良い。私の代わりは要らない。私の消えた場処に何食わぬ顔で立つ誰かも居ない。私は端から存在せず、私の場処も無い。私が消えて、世界は元に戻る。ああ良かったと安堵する。膿は出したほうが良いと誰かが安寧の声を吐く。私もそう思う。膿は出した方が良い。世界は元に戻る方が良い。私は流れてゆく。闇が私を流してゆく。私は嗤う。高らかに嗤う。声を闇が呑む。
孤独には慣れている。疎まれるのも、嫌われるのも、嘲られるのも、慣れている。赦される等とは思っていない。受け入れてもらえる等とは考えた事もない。私は流される。闇に流される。行き着く先は虚無。虚ろに閉ざされた廃園。消え失せた世界。交わらぬ存在。久遠に亡び続ける絶無。私と云う闇。私と云う罪。私と云う罰。私と云う虚。闇が流す。私を流す。存在せぬ私の、存在せぬ世界で、存在する絶望と悪徳。背徳に塗れる私の罪劫。腐敗する狂気。狂い出す種子。
其れでも花は咲く。多分、咲く。





佇む。闇の中、途方に暮れる。くらくらくらと何かが啼く。
腥い風が吹いて、私の膚を灼く。灼けた膚は剥がれ落ち、闇の向こうへ舞い消える。剥き出しの血肉に、雨が降る。
からからと光る、鋭利な雨は細い針に似て、私を突き刺し、血を裂いて肉を流す。
くらくらくらと何かが啼く。痛い痛いと聞こえる。さくさくと雨が私を削る。狭まる視野に闇を視る。腕を伸ばす。雨が裂く。行きたかった。向こうへ、闇の向こうへ行ってみたかった。赦されたかった。生きていていもいいのだと。受け入れて欲しかった。私を、私の侭で。
伸ばした腕から指が消える。雨が持ってゆく。足元に指が転がる。零れる血が指を隠す。肉が流す。私の視野が縦に長く消えてゆく。雨が降る。ノイズになる。古い映画の、厭味なクライマックスを思い出す。白と黒の世界。ノイズが落ちる。行かなくちゃ。男が云う。何処へ。女が応える。世界へ。男は笑う。世界へ。女は眉を顰める。世界は貴方を待ってやしないし、貴方も世界を望んでやしないわ。女の科白が、男を諭そうと垂直に飛ぶ。酷い事を云うと私は思う。私の視野がノイズに埋まる。そうかも知れない。男は科白を弾く。それが唯一正しい理なのかも知れない。だけど行かなくちゃ。男が背を向ける。貴方が希う物なんて何も無いわ。何処にも、どんなに探したって、見付かりはしないわ。女が叫ぶ。知ってるよ。男が哀しげに振り返る。だから行くんだ。ノイズ。女が喉を潰して何かを叫ぶ。声は聞こえない。男は少し笑って、扉を開ける。白と黒の世界を後にする。女は哭き乍ら嗤っている。ノイズ。扉が閉まる。男が帽子に手を遣り、くしゃりと笑う。さようなら、世界に囚われ生きる人。男の黒い眸を左の端に映画は終わる。下から上へエンドロール。上から下へ、からから光るノイズ。たった一筋だけの私の視野。
ああ、私も行かなくちゃ。この視野が閉じてしまう前に行かなくちゃ。足を踏み出す。頽れる。
くらくらくらと何かが啼く。


短文


一、
黒い夢 白い闇
逃げる 何処までも
痛い膚 甘い傷
逃げる 何処からも

二、
天(あめ)が下 亡ぶるものゆゑ
黄牛(あめうじ)は なほ草を食み
雨もなほ 降り続かむず
叫(あめ)くは吾のみ

三、
辛過ぎる海ならいっそ溺れてしまえ。そう願う。

四、
生まれたのは闘う為。
世界に満ちた凡てと闘う為。
死に逝くのは護る為。
世界に満ちた凡てを護る為。

五、
私に生きる為の名前をください。
生きてゆけるだけの名前を。

六、
例えば誰かが生きろと私に云ったなら、私は果たして生きるだろうか。
物語は私を突き放し、言葉は私を棄てたと云うのに、私は生きるだろうか。
私は私を忘却しようとしていると云うのに、それでも私は生きるのだろうか。


昔恥


一、
冷えた月が熱を帯びて呑み込んでゆく
崩れ去る世界が何かを叫んで
僕等は誰もが常闇の夢に溺れる

二、
君が両の拳に握り込んだ其れは、闘う為の凡てと闘うべき凡て。
恐怖を抱いた腕が強さを求め
畏れを孕んだ胸が怒りを呼び醒ます。
君の眸は開かれ、視線が奔る。
何も彼もを切裂き、撃ち砕き、
穿たれた嬰児の、毀たれた屍の司る此の世界に破壊を齎す為に。

三、
崩壊が訪れる。
踏み躙った孤独は、砕ける事なく、僕を襲う。
僕は倒れるだろう。
蒼い大地に頬を寄せて、赫い天空を凝視め、皚い海に呑まれる。
崩壊した僕は虚無になる。
救いは無い。
碧の月が嗤った。
癒される程に冷たく。

四、
月を堕とす。月が堕ちる。
うらうらと満たされた杯に
皎皎と、冴え冴えと、哭いた月が捉えられている。
痛いの。
月が哭く。
痛いの。
私は繰り返す。
とても、酷く痛むの。
月がくらりと揺れた。
そう。
私もくらりと揺れる。
何が、痛むの。
私は訊ねる。
貴女が。
月が揺れて千切れる。
私が。
私は杯を傾けて月を呑む。
漆黒を湛えた天には、
只、桜だけが舞って居た。

五、
一条の光すら射さぬ闇
コボタレテ
座りこんだ僕は
ヤミニノマレテ
眸を開ける事も出来ずに
コノママデ
誰も通る筈の無い
コノバショデ

要らなくなった僕の眸は 白濁し
要らなくなった僕の足は 融け入る

要らなくなった僕は ヤミニナル

六、
音と光の無い部屋で、私は塵になり、腐敗する。
私の肉が溶ける臭気は何処にも届かない。静かに、只静かに、腐ってゆく。
私は誰だ。
私の躰に残されたモノは後幾つあるのだろう。
凡てを棄てた。棄てる以外に生きる術を見つけられなかった。手の内から零れ出た凡てのモノと引き換えに手に入れてのは圧倒的な虚無。何モノも赦されない絶無。
流れ溢れる紅の血だけが熱を持つ。
疵は赫く熟れて弾け飛ぶ。飛ばされた種子は膠状の闇を果敢無く待って新たな疵を育む。
闇に咲き誇る紅い葩。愚かしくも気高く、哀しくも尊く、憐れにも誇り高い紅い葩。
自らを赦す事すら出来ずに、過ちを繰り返す。
自らを諌める事すら出来ずに、過ちを繰り返す。
甘えに頼った罰が此処に在る。甘えを受け入れた罪が此処に在る。
死ぬる正気。生くる狂気。朽ち果てる。
音と光の無い部屋で、静かに、只静かに、朽ち果てる。


昔恥―ウタ


一、 おおそうじ やれどもやれども ひとのもの

二、 虚無を舞う 桜の葩から 死が匂う

三、 射千玉の 夜の静寂に 落つる吐息(いき)

四、 枯れ急ぐ 狂った華を 真似るが如く

五、 闇色の 希い啖わば 死神の 微笑みに遭い 狂い始める

六、 白き闇 凝視め流るる 我が時は 欷き愚かな 虚無に散るらむ

七、 垂乳根の 母をたずねて 三千里

中二病でした。治りません。



十二国記二次―色々アレです


 麒麟とはかくも憐れな生き物よ、と囁いたのは誰だっただろう。
 もう、思い出せないけれど私は未だに肯定する事も否定する事も出来ないでいる。
 麒麟は王を選び、王に凡てを預け、王が道に悖れば病床に臥す。王が自ら神籍を返上しない限り、王と共に身罷る。
 その生はまるで王の為だけにあるようではないか。
 麒麟は民意の具現で、慈悲の生き物だ。それは解る。彼等の口唇を割って出る言葉は慈悲以外の何物でもない。時に残酷でさえある慈悲の心は彼等が民意の具現である証左だと云っていい。彼等にとって慈悲が凡てのように見える。だが、それは見せかけに過ぎぬと私は思う。どんなに慈悲深さを口にしようとも、主に命じられれば殺しもする。罪人を庇い、罪人を生かせと主に縋るその腕で、その指で、麒麟は無辜の民を毒刃にかける事が出来る。例えどんなに苦痛を強いられる行為であったとしても麒麟は必ず遣り遂げる。彼等の身内を占める物は慈悲ではない。王だ。爪の甘皮、髪の一筋に至るまで王について想いを巡らせる。彼等の内に民などいない、王しかいないのだと云う気がする。
 私が取りとめもない思考を泡沫に遊ばせ乍ら宮中を歩いている間、誰にも会わなかった。先だってかなりの数の官が罷免されたからだ。その所為で政が立ち行かなくなっている。罷免した官に復職して貰わなくてはならないだろう。屈辱だ。
 私が王でなくて良かったと感謝せずにはいられない。
 私はあてもなく宮中を彷徨い、漸く目的の人物を見付けた。
 小さな背中に鋼の鬣が滑り落ちている。
「台輔」
 声を掛けると子供は酷く億劫そうにこちらを向いた。
「……正頼」
 浮かない貌で沈んだ声を出す。慰めて、と躰で叫んでいる。
「どうかなさいましたか?」
「正頼、驍宗様が」
 こんな幼い麒麟でさえ、口唇を開けば主の名を綴る。幼い麒麟は眸を濡らし、不安を言葉にしてゆく。私は笑顔で愚痴のような不安を聞いている。私は思う。これは忠誠ではない。最早慕情だと。どの国の麒麟もそうなのだろう。そうでなければ幾ら忠誠を誓っていても恐ろしい程に苦痛を伴う行為に及んだりは出来ない。
「それでね、正頼。驍宗様は僕がお邪魔なんだと思う?」
「台輔は何を仰ってるんでしょうね。お邪魔だなんて、そんな筈ないですよ」
 そうだと良いのだけれど、と幼い麒麟は俯く。
「そうですとも」
 邪魔だと思っているのなら彼の住まいを近くに移させる計画など立てたりはしない。しかも彼には内密に。緘口令が布かれていなければ教えて安心させてやれるのだが、麒麟でなくとも主の命にはそうそう逆らえない。
 主上はきっと、この幼い麒麟を喜ばせてやりたいのだ。
 少々、過保護が過ぎるのではないかとも思うが矢張り王も、麒麟が王を想うかの如くに麒麟を想………………………………………………………
…………
…………
…………
…………
……駄目だ、正頼。下世話な想像は慎むんだ。
 幾ら何でも、仮にも一国の主が、そんな、そんな破廉恥な……いや、待て、待つんだ正頼。何故麒麟に雌雄の別がある? そもそも何故我々に性差があるのだろう。この問題について考えを持っている者は精神の結びつきをより強固にする為に性差があり、情を交わすのだろうと推測しているらしいが、私はこの推測に異を唱えたい。娯楽だ。我々の住まう世界は余りにも娯楽に乏しい。賑やかな街ならいざ知らず、萎びた農村や傾きかけた国では旅芸人も中々近寄りはしまい。そんな時、人は楽しみの為に誰かの肌を求める。我々の性差については――飽く迄私は、だが――それで納得がゆく。だが、麒麟は? 麒麟の雌雄は何の為だ? 王の為に? 否、それなら何故男王に麒がついたり女王に麟がついたりするのだ。
 まさか、天は王の趣味をも見越して…………下品だ、正頼。それだと延王は少年愛好者になってしまう。多分、ありえない。
 そう云えば、慶の女王が景台輔に善からぬ想いを抱いているらしい、と風の噂に聞いた気がする。何て事だ。相の思が相の愛ではないか。となると、何だ。どうなるんだ。王の命は絶対だ。景女王が、あたしのものにおなりなさい、景麒、と一言言えばそれで万事解決、否、その一言に対し景台輔は、恐らく何処の麒麟でも、私は貴方のものです、主上、と答えるだろう。それでは納得できまい。私ならしない。
…………。
 待てよ。王の命は絶対? 麒麟は決して逆らえない?
…………。
 王が麒麟に同衾を命じれば麒麟は逆らえない?
…………。
 こちらへ来なさい、台輔。主上? 何を? 台輔、ここへ。……主上? 私の命に逆らうのか? いいえ。いいえ、決して、そんな。なら、台輔。何を、お考えなのです? 何も。何も考えてはいないよ。いや、考えられないと言った方が良いかも知れない。……主上。頼むよ。主上、お待ちを、












 阿呆か、私は。


 しかし、あってもおかしくはない訳で、だとすると麒麟の雌雄は矢張り王の為に……。麒麟の凡てが王の為にあるとするならば、麒麟の雌雄も王の為にあると考えるのが妥当ではないか。何? 無理矢理過ぎる? そうかも知れない。だが、他に何がある? 王を補佐する為だけなら雌雄等、ない方が良い。そしてテーマとはかけ離れているように思うが私は気にしない。
 王の為なのだ。
 では、では何故、雁国の麒麟は少年なのだろう。は。延王と云えば胎果。胎果と云えばあちら。あちらと云えば戦国。戦国と云えばお稚児さん文化。―――――腐ってるぞ、正頼。
 嗚呼、本当の処を訊いてみたい。
 訊いてみたい事は他にもある。
 奏、芳、巧等の王が家庭を持っている場合、麒麟は王に対してのみ慕情にも似た忠誠心を抱くのだろうか、それとも一家に対して抱くのだろうか。
 慶、才、芳等の二王に仕えた場合、先王が自分を残して逝ってしまった時、有難いと感じるのだろうか、何故自分も連れて逝ってくれなかったのだと嘆くのだろうか。民意の具現ならば有難いと感じなければおかしいとは思う。先王に抱いていた件の忠誠心は新王に仕えた時点で凡て忘れ去るのだろうか。抱いた侭なのだろうか。  許されるのならば腹の底から訊いてみたい。
 嗚呼、各国の王よ。
 あなた方にとって麒麟とは一体何なのです?
 補佐以上でも以下でもないのですか?
 それではあんまりだ。
 麒麟はあなた方の為にのみ存在していると言っても過言ではないのに。
 確かめたい。
 これは、確かめるべきだ。奏や巧とは国交がない。あるのは範。お世話になった漣、雁。慶。漣には行くと決まっている。雁か慶。雁だ。台輔の事を思えば慶の方が良いのだろうが、じいは景台輔より延台輔がよいです。
 決まった。主上に暇を頂かねば。私はおいてけぼりを喰らって呆然としている我が愛しの黒麒麟をその場に残し走り去った。申し訳ありません、台輔。じいは台輔をかまってあげられなくなっている程にテンションがハイなのです。
 主上、主上はどちらに御出でで御座いますか。
 私はベン・ジョンソンのように走り、ブブカのように跳び、星野仙一のように吼えた。
 嗚呼、そこに見ゆる白銀の髪はまさしく我が主上。
 主上、主上。
「すぞう」
 噛んだ。
「基、主上」
 私は血を思わせる紅玉の眸を凝視める。
「お話が御座います」
 いざ行かん。憧憬の雁へ。

正真正銘のアホですね。



過去


痛い、と云うのだ。毎夜、決まって眠りに落ちる寸前を狙い定めたかのように、其れは痛いと云うのだ。
痛い痛いと時に哭いたりもする。
何処が痛むのか、私には皆目見当もつかない。只、痛い痛いと繰り返す。
もう止めて呉れないか。私は思う。夜毎眠りを邪魔するのはもう止めて呉れ。私は知っている。痛む処など何処にもないのだ。痛みなど感じては居ないのだ。感じる筈がない。
だって、生きては居ないぢゃないか。
お前はもう、生きては居ないぢゃないか。トウの昔に、時間の向こうへ流れていったぢゃないか。今更何を――今更私を、責めるのか。詰るのか。苛むのか。
私は只管に生きたかっただけなのに、いつもお前が邪魔をする。お前を連れては行けないと、幾度説けばお前は解ってくれるのだろう。
痛いと哭くのを止めて呉れ。痛むのなら眠ればいい。二度と眼醒めぬ眠りに就けばいい。子守唄が要るのなら誰かに唄わせよう。道連れが欲しいなら、いつかの私を少し向かわせよう。
だから、もう、消えて呉れ。出来ぬと知って呉れ。
私は行くのだ。其の為にお前を捨てたのだ。疵だらけだと知ってい乍ら捨てたのだ。私は私の為に、弱く、惨めで、疵付ける事でしか己を守れない私を捨てたのだ。痛いと哭くのを止めて呉れ。
私は痛みなど、もう要らない。お前など、要らない。


未来


見失ってしまった。
何時だって傍らに在り続けたいと願っていたのに、貴方が余りに重く深く沈んでしまうから、貴方が余りに堅く勁く眸を鎖してしまうから、貴方が余りに痛く辛く声を潰してしまうから、貴方が余りに永く昏く耳を塞いでしまうから、私は貴方を見失ってしまった。
貴方を呼ぶ私の声は貴方に届いているだろうか。
貴方を求める私の憶いは貴方に視えているだろうか。
貴方を探す私を、貴方は知っているだろうか。
どうか気づいて欲しい、私の憶いに。どうか応えて欲しい、私の声に。
未だ貴方を見付けられずに居る私に、どうか、其の姿を視せて欲しい。
貴方を見付けたら躊躇わず貴方の痛みに寄り添おう。
貴方を見付けたら迷わず貴方の苦しみを受け入れよう。
貴方を見付けたら惑わず貴方の昏闇と共にゆこう。
だから、貴方に伸ばす私の腕を振り払わないで。貴方に懸ける私の願いを蹴散らさないで。貴方に抱く私の憶いを裏切らないで。
怕がらなくていい。怯えなくていい。疑わなくていい。
只、私の掌を取ってくれればいい。私を視てくれればいい。
私は何時だって貴方の傍らに在るのだから。
私は何時でも貴方を待っているのだから。
私は貴方の為に有るのだから。


現在


汚泥に埋まって居た。
口腔のみならず鼻腔迄埋まって居た。
息が詰まる頭が壊れる痛い苦しい情けないと思って居たら、目頭が呼吸を始めた。
右の目頭から抜ける呼気がふかりふかりと粘る闇を舞う。
ああ、浅ましいなと、私は嘲笑う。
私はまだ生きて居たいと願うのか。こんな所迄墜ちて沈んで埋まって尚生きたいと願うのか。
生きて何になる。生きて何がある。闇と苦痛と嘲りがあるだけだ。其れでも、願うのか、欲するのか。何故(なにゆえ)に。
忿り故に。嗟き故に。償い故に。
痛いと哭く者が在る。憐れよと嗤う者が在る。私に纏わり付いて離れない。
何て、煩い。哭きたくば哭け。嗤いたくば嗤え。もっと重く深く沈んでしまえ。其の侭泥と消えればいい。
私は身を捩る。鼻腔から汚泥が流れ出る。
生きて何になる。生きて何がある。澱と悲哀と憐れみがあるだけだ。其れでも。願うのだ。欲するのだ。求めるのだ。生きたいと。
私は這う。闇と汚泥を這い続ける。向かう場処など知らない。只、声がする。私を呼ぶ音が在る。音を辿る先に壁がある。仰げば、一条の淡い帯がたゆたって居る。
其処迄ゆこう。爪が剥げ、指が削げても、あの帯迄登ろう。
私は、融け、崩れ、流れる泥の壁に爪を立てる。
生きてきた残滓は散ればいい。生きてゆく罪悪は散らせばいい。只管に今を生きればいい。
そうして私は攫むのだ、あの一条の淡い帯を。





其処に血が在った。其れは私の血であった。嘗て私が流した血であった。
血は哭いていた。哀しいと哭いていた。
君が哀しいと、血は哭いていた。
血を流していた頃の君は痛ましかった。今の君は、何故だかとても哀しい。そう云って血は一層哭くのだ。
笑わなかった君は、笑えなかった君は、其れでも諦めてはいなかった。投げてはいなかった。闘おうとしていた。闘っていた。凡てと。己と。満ち足る事を知らず、愉しむ事を知らず、赦される事を知らず、何も彼もに牙を剥き、刃を向け、傷だらけで、血塗れで、歯を食い縛り、泥の中を這いずっていた。
今だって、と血は自身を振るわせ哭き続けていた。
今だって泥の中じゃないか。君はまだ傷だらけで、血塗れで、泥に埋まっているじゃないか。牙も刃も其処に在るじゃないか。なのに君は闘う事を棄ててしまった。
血は、哭いている。
牙は、刃は、此処に在る。傷を見て、と血が哭く。
傷を見て、血を吐いて、泥を啖って、牙を剥いて、刃を向けて、痛みを捉えて、不様に這いずって、其れが、君じゃないか。
恐れるな、と血が這って来る。
忘れた時、君は凡てを失くす。其の怒り、其の哀しみ、其の痛み、其の凡て。君はまだ持っている。凡てを持っている。忘れてはいない。其の嘆き、其の虚ろ、其の叫び、其の凡て。
流されるな、と血が私を包む
流されるな。逃げるな。甘やかすな。痛みを視ろ、傷を視ろ、嘆きを視ろ。牙が在る。哀しみが在る。虚ろが在る。刃を握れ。
血に塗れた私が叫ぶ。
忘れたりなどしない。凡て、何も彼も、背負ってこの泥を行く。闘う事を棄ててなどいない。此の牙は、此の刃は、今も裡で鈍く研がれ続けている。何れ又剥き出して闘う為に磨き続けられている。腕を伸ばせ、腱が千切れる迄。叫びを上げろ、咽喉が潰れる迄。其処に何も無くとも泥を行け。四肢が腐り落ちようともこの泥を行け。其処へ、世界へ、私の世界へ。





傷はまだ有る。痛みもまだ在る。憐れみも哀しさもまだ此処に在って、嘆きも恨みまだ此処に在って、私はまだ此処に居て、何処にも行けず、這い進む事すら出来ず、ぬむぬむと又沈み始めて、今はもう哭き声も枯れ果てて、腕を伸ばす気概も朽ちて、瞬きさえ忘れて、乾いた眼球は涙も零せず、只、上だけを凝視めて、其の癖何も視えずに、裡に逃げて、甘やかす為の言い訳だけは巧くなって、所詮、矢ッ張り、そうイジけて、結局何も持たないのだと凡てを閉ざして、同じ処をくるぐると迷い続ける。私はまだ此処に居る。又此処に居る。先へ行けたと、喜んで舞い上がって愚かに増長して、弱さだけが残った。勁くなりたいと願って弱くなった。昇る事を望んで沈んだ。深く沈んだ。泥が滲みる。泥に成る。泥に成って崩れていく。凡てが崩れていく。其れで良い。崩れれば良い。凡て、崩れてしまえば良い。崩れて、溶けて、泥と化して、然うしたら、もう一度其の泥から生まれ出れば良い。何度でも生まれてやれば良い。泥を啖ってやれば良い。啖い尽くしてやれば良い。全部血肉に変えてやれば良い。傷も痛みも憐れみも哀しさも嘆きも恨みも呑み込んで、弱さも何も持たない口惜しさも呑み込んで認めて、其処からやり直して、先を、勁さを望めば良い。逃げずに上を凝視めるなら立ち続けられる。歩き続けて居られる。闘える。傷だらけの侭で闘える。敗ける辛さを抱えて行ける。怕れを超えて行ける。手を伸ばせ。何も掴めなくて空を掻いても手を伸ばせ。何度でも伸ばせ。嗤われても嘲られても罵られても伸ばし続けろ。求め続けろ。欲し続けろ。厭われても貫き通せ。莫迦にされても遣り抜け。全霊を籠めろ。己を護る腕を解いて傷へと突っ込んで行け。血なら幾らでも流してやる。痛みなら幾らでも呑んでやる。辛さなら幾らでも抱えてやる。辱なら幾らでも背負ってやる。だから、此の先を行け。声を限りに叫べ。何も持たないからこそ辿り着ける場処がきっとある。何も持たないからこそ辿り着ける天辺がきっとある。手を伸ばせ。歩き続けろ。何度でも。此処から。


想い


欲しいモノは手にはいらないモノです。
遣りたいコトは出来ないコトです。
けれども、でも、だからこそ、私は其れが欲しいのです。其れを遣りたいのです。
其れを手に入れられなければ、其れを遣り遂げられなければ、私は本当に只の屑と化してしまうのです。私の凡てが無に帰してしまうのです。
此の足で此の腕で此の魂で生きてきた凡てが。
耐えてきた時間の凡てが、削ってきた精神(こころ)の凡てが意味を失くしてしまうのです。
私には何も有りません。欠損も補われていません。手に入れられるモノは一つも在りません。出来る事は嘆く事だけです。けれど、でも、だからこそ、私は腕を伸ばしたいと思うのです。求めていたいと思うのです。

強欲に、貪欲に、恣(ほしいまま)。

赦しは要りません。慰めも憐れみも労わりも要りません。
私の傷は塞がりません。私の痛みは和らぎません。私の血は止まりません。
傷は広がり続け、痛みは脈動し続け、血は流れ続けます。

其れは約束された罪、約束された庇護。
其れは私の武具。私の刀剣。
其れは爪と牙と涕(なみだ)。

もう厭なのです。負けた侭で居るのは厭なのです。負けて当然と諦め誤魔化すのは厭なのです。
負けたなら悔しいと哭きたいのです。哭いて、哭いて、壊れる迄哭いて、終わらせたいのです。誰にも届かぬ慟哭を抱いて、終わらせたいのです。
私の凡てが砕け散る迄闘い挑んだなら、叶う気がするのです。
私には何も有りません。欠損も補われていません。だから何だと云うのです。私は闘い挑むのです。凡てが砕け散る迄闘い挑むのです。


無題


忘れたのは凡て
失くしたのは凡て

視えないモノに溺れて
在り得ない世界に逃げて

怯えて 哭いて 壊れて
怕れて 悔んで 狂れて

疼く痛みだけを頼って
流れる血だけを信じて

哀れみが裡に満ちて
哀しみが傷に溢れて

其れで良いと赦して
其れで宜いと甘えて

此処から天を見上げて
此処から昊(そら)を仰いで

届きはしないと諦めて
到れはしないと擲って

嘆く事で己を認めて
恨む事で自らを支えて

けれど此の先へ行きたくて
けれど此の先を見たくて

だから何も彼もを呑みこんで
だから何も彼もを背負い込んで

躰が朽ち果てる迄
魂が枯れ果てる迄

歩き続けよう
求め続けよう

私には他に何もないのだから

まだ此処に居ます。何処にも行けずにいます。


天穹


何処へ行く
何を成した
何を残した
何を求めた
何を手に入れた

何故此処に居る

其の眼は何を視る
其の腕は何を得る
其の掌は何を掴む
其の声は何を叫ぶ
其の指は何を紡ぐ
其の想いは何を生む

嘆き 怒り 恨む 苦しみ 悲しんだ果てに
痛みと傷だけが残り
病み続ける魂が
疲れ切った命が
耐え忍ぶ躰を
朽ちさせてゆく

嘗て堕ちた地獄へと戻ってゆく

又堕ちる
又灼かれる
又苛まれる
又壊れる
又助けられず
又苦しめる

何が足りない
力か 強さか
信念か 執着か
熱か 炎か

どうすれば助けてやれる
其処から連れ出してやれる
どうすれば苦痛を消してやれる
どうすればいい
何を得ればいい
能か 才か
自信か 自負か
悟りか 諦めか
どうすれば手に入る

今更どうすれば手に入る
何も無い
何も無いじゃないか

無理なのか
終わるのか
苦しんだだけで終わるのか
辛いだけで終わるのか

其れが自分だと
其れが生だと
諦めろと云うのか
苦しむ為に生まれたのだと
傷付く為だけに生まれたのだと
悟れと云うのか

世界は無常だと 無慈悲だと
理解して朽ちろと云うのか

なら せめて
昊へ還りたい

地の底でなく
泥の闇でなく
天の蒼で
朽ちてゆきたい

せめて
彩の有る世界で終わりたい

凍えた魂を慰めて
報われない躰を癒して
認めて
赦して
解き放ってやりたい

せめて穹へ

彼(あ)の蒼へ

蒼の彼方へ

せめて


蜘蛛


蜘蛛であった。
一匹の小さな蜘蛛であった。
何も思わぬし、何も考えぬ。

只、蝿等を啖うて其の日を終える。
朝(あした)に生まれ、夕(ゆうべ)に死ぬる。
日々、生と死を繰り返す。

彼は其の様な生であった。

障りは何も無い。

父も母も間違い無く其の様な生で、
子も孫も恐らく其の様な生である。

価値など求めぬし、意味も探らぬ。

そんな事は無駄だと解っているし、見付からぬと知っている。

己が在れば良い。

目醒めと共に生まれ、羽虫を捕らえ啖い、眠りと共に死ぬる。

其れが凡てで、其れで充ちている。

彼は彼として生じた、
其の瞬間から完結していた。

好悪も正誤も無い、生きるだけである。
深い蒼に沈んだ天穹の下、完結された生を受け渡すだけである。

彼は其れで全うされる。

其れが彼の業(カルマ)であり、
其れが彼の法(ダルマ)である。

彼は一匹の小さな蜘蛛であるが故に真に至り理を識り得たが、差当り彼には関心が無い。

気紛れに見上げた穹に煌く虹が架かっていようとも、矢張り彼にはどうでも良かった。

生きるだけである。





Written by kaito



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